印章が日本人の社会生活に定着したのは明治10年、明治維新政府による太政官布告以来です。この布告は「証明の姓名欄には本人が自書し、実印を押すこと、もし自分で名前を記すことが無理な場合は他人に書かせてもいいが、実印は必ず押さなければならない」という通達以来です。この布告がなされた10月1日を“印章の日”として印章業界では毎年、記念行事を行っています。また、8月5日はハンコの日記念日です。
「漢委奴国王」を刻んだ金印が、我が国最古の君主の印と見られています。その後、書記持統天皇6年(692年)に新祇宮が木印1個を天皇の差し上げた記録もありますが、聖徳太子の時代頃から官印が用いられ「天皇神璽」を刻んだ内印が奈良時代、江戸時代とともに用いられ現在の天皇の判は、明治時代に彫られたもので、詔書、法律、政令、条約、批准書、信任状、委任状、認可状、官記位記に用いられています。
乱世の時代に入ると、これまで一部の公家しか使えなかった判が私印として戦国武将の間で使われ始めました。印面は自由で織田信長の「天下布武」などのように名前を記さないものも多かったようです。また、日本的サインとして花押(かおう)が流行りました。
江戸時代に印鑑は判形と呼ばれ判形を偽造するものを謀判といいました。初期には謀判の罪も流刑程度の軽さでしたが、商取引が盛んになるに従って謀判も多くなり、同時に奉行所もその罪を重くし、中期には、死罪から獄門晒し首、さらには引廻し獄門晒し首となり、一族も死罪という厳しさです。
現在では、印鑑偽造は懲役という、江戸時代では考えられない軽さです。